ゆんぎさんがくれた愛を記録するアカウントです

dawn sunshine

 

眠れない夜明けに耐えていた涙がこぼれる。

この広い海の島、捨てないで。

 

 

 

 

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夜明けってどうしても辛いし寂しい。とてもとても孤独でほんとにこの世界に1人だけになってしまったような気分になる。しとしとと降る雨のようでじめっとしていて目を瞑ってもスマホを見ても治るどころか、逆に孤独に侵されてしまう。

 

これは、そんな苦しくて寂しい夜明けを自分の影に取り込み人生の味方にした人のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"眠れない夜明けに耐えていた涙がこぼれる この広い海の島、捨てないで"

これは2つの曲から抜粋した言葉。

 

 

それぞれ作詞者は違うのだけども새벽에を作詞作曲しeternal sunshineを編曲したミンユンギでありSUGA、この場合はAgustDと言ったほうがいいのか、いずれにせよ彼であることは違いないからいいんだけど。

実はこの曲英語表記では140503 at down ' eternal sunshineとそれぞれ違う題名がついているのだが、韓国語表記では同じ題名なのだ。

 

 

 

 

      새벽에、夜明けに

 

 

 

 

2014年5月3日の夜明けは彼の間延びした声とキーボードを操作する音から始まる。

 

そこから紡がれるのは彼が彼であるための彼だけの世界。

その世界は孤独で夜明けの雨降りの空気を纏ったような曲だった。

 

夢を追う自分とは裏腹に世間と剥離していく自分、それでも寂しくないふり強いフリ。離れて欲しくないのに捨てて欲しくないのに人とは一線を置くように作ってしまう厚い壁

 

彼は、ゆんぎさんはいつも捨てないでと懇願する側だ。いつも仮面をつけて自分のことをとても悪い、罪人のように思い

 

 

この曲ではDARK&WILDのtrack.6のRainのビートが使われている。

 

 

 

2014年の새벽에、夜明けがからの人生の主観であるならeternal sunshineは過去の自分を見る客観だと思う。

 

他人との競争で疲弊し残ったのは頑固で反骨精神だけが先走りした昔の自分へかける言葉

 

Do you get lonely?

寂しくなった?

Sick with anxiety?

不安になった?

Can't trust nobody?

誰も信じられない?

Well...same here 

うーん。同じだよ

Well...I'm here 

うーん。ここにいるよ。

 

 

ひたすら真っ暗な暗闇に怯えて走り続けてきた2014年の夜明けと、ギラギラに照りつける焼き殺すような照明の中、

 

いわゆる"花道"と言う道を休む暇なくひたすら走り続けてきた2019年の夜明け、戦う相手はどれだけ時が経とうといつも自分だったのかもしれない。

 

 

冷たい海でもなく熱くて辛くて崩れ落ちたくなるような砂漠でもなく、eternal sunshine 永遠の輝きと名付けられた音はこの夜明けを照らす道標の様なものなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の曲はいつも捨てないでと懇願していた。

 

「僕の手をとって、こんなことを言う自分が信じられないけど心の中で何千回も繰り返した言葉僕から離れないで。」

 

「君なしで乗り越えた砂漠は喉が乾く、だから早く僕を捕まえて。」

 

 

彼は、18歳の頃自分を1度殺した。

深く仮面を被って助けを求めながらもその仮面を絶対に離さなかった。

 

ある心理学の本で読んだことがあるのだが「ペルソナ」とは「昔ある劇団の演者が、自分とは全く違う人を演じるために被った仮面が取れなくなった」と言う物語の様なものが語源にあると言う。(※諸説あり)

 

ただ、そんな彼が助けてと懇願しながら仮面をかぶり掴み取った成功、"花道"はより深く彼に仮面を被らせた。

 

 

花道。私はよくは彼らに「花道だけを歩いてね」と言っていた。花道を歩くことがこの世界でのいわゆる"成功"であり"しあわせの印"だと思っていたから。

 

ただそれは物凄く無責任な言葉で孤独な言葉で

"花道"とはよく言ったものだ。

この文字を見て彼はどんな風景を思い浮かべるだろう

 

 

綺麗な色とりどりの花で囲まれた野原とそこに立つメンバーたち、分かれ道にくると一方の道には安泰の文字の立て看板に案内がしてあるような、そんな場所か

 

 

自分に向けられた悪意や嫉妬の目 望んでもいない自分に向けられる沢山のレンズ 孤立したような高いステージで自分の孤独さや辛さを見せつけるような眩しいライト、嘘と欲の負の感情が立ち込めるようなこれ以上飛ばせるな輝かせるなと懇願するような場所か

 

 

それは彼にしかわからないことだが後者である時期も少なくはなかったはず。

 

だが彼は表現者だ。心に斬り込んでくるような鋭い歌詞と命を削るようなラップをする彼はその景色を私たちにわかるように見せてくれた。

 

壊れた心と肩、初恋だと言うピアノとの思い出もそして自分を奮い立たせ愛する方法までも。

 

 

LOVE MY SELF

 

苦悩の中たくさんの抑圧に反発しいくうちに見つけた大切なこと、彼らが掲げたこの言葉。

 

苦しいいばらの花道を抜け出した春の様な6人といろんな苦悩をじぶんの年輪として、長い間囚われていた夜明けを自分の影に取り込み仮面をとったゆんぎさんにしか作れない綺麗な音ぇ教えてくれたゆんぎさんだから教えることのできる自分を愛する方法だ。

 

 

そんな彼が今、歩んでる人生は私たちへ愛を教えてくれているのと同時に過去の彼自身へのanswerなのではないかと思う。

 

今ゆんぎさんの紡ぐ言葉は、描く歌詞は、昔の自分が漠然と恐怖の抱いていたものや分からなかったこと自分の闇をゆっくりとひとつひとつ解いていくような感じがする。

 

「夢がない」「終わりが怖い」「情熱がない」そんな言葉に彼は「夢がなくてもいい、小さな幸せを感じて生きることだけを考えて。終わりは怖いけれど終わりを恐れていたら何も始まらない。はじめは微弱でも終わりが壮大であれば…」と。

 

彼の歩んできた道から少しずつあたしたちを幸せにする言葉を引き出して与えてくれるゆんぎさんがとても愛しくて、たとえ愛情表現を多く表に出さずとも言葉の端々の暖かさと柔らかさが彼の聡明さを物語っていると思う。

 

日が昇る前が1番暗い、そんな夜明けにいた彼が翼が生えてくる痛みに耐えて自分を今こそ微弱であろうとも最後は壮大に飛躍するだろうと諦めなかった夜があること、そして彼が音楽に出会ってくれたことが私にとってのanswerだ。

 

 

泣きたいこもあるし死にたいことなんてたくさんあるけれど彼が教えてくれた言葉たちが私を良いもにしてくれる。頑張らなくてもいいよ、頑張ってね。私たちだけが分かる言葉に支えられて、夢がなくったって小さな幸せを集めてたとえそれが微弱だったとしても最後は壮大にそして試練の果てに満開ならばいいと、彼はやさしく笑っていってくれるから

 

 

 

 

 

お疲れ様、今日も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき兼解説

 

 

 

こんにちは。

 

まずはここまで読んでくださってありがとうございます。

 

実はこのブログを書き始めたのは2月の下旬で、ゆんぎさんの誕生日に出そうと思っていたものなんです。

 

前のブログ「魔法使いミンシュガ」を読んでくださっていた方はわかるとおもんですがあれ、私めちゃくちゃ思いを全部書いたんです。もうほんとに最初で最後のブログだ!って思うほど…ただゆんぎさんは生きる歴史だしすぐいい曲出していいことばかり言うから書きたくなる、、、

 

だから今回も「세벽에 」と「eternal sunshine 」を絡めて書きたい!と思って書き始めたんですがほんとに文がまとまらずぐちゃぐちゃで書いては消しを繰り返してたらいつのまにか4月も終わりがけになってました。

 

あまりにも時間をかけすぎて本当に内容がぐちゃぐちゃなのですが読んでいただいて本当にありがたいです…( ;  ; )

 

 

 

さて、このブログは展開的には마지막 のような感じにしたくて3分の2くらいは暗く暗く暗く進んで最後の残りの1でぐわっとアゲて明るく書いたつもりなんですが言われてみればちょっとわかりますか?

 

そしてこのブログたくさんのキザっぽい歌詞の様な?臭い言葉がたくさん出てくるのですがそのほとんどが歌詞から引用したものです。これも言われてみればくせーなとおもったりすると思います

 

 

実はこのブログを書きながら3回くらい泣きました。

 

自分の性格だったり抱えている問題が自分にとって耐えきれなくなった時に同じにしてはいけないけど同じような悩みと中身は違うけれど病気でどうしようもないくらいドロドロとした闇に呑まれそうな時、ゆんぎさんの歌や姿、言葉で助けてもらった部分があまりにも多く、

だからゆんぎさんにかける思いと感謝は人一倍あると自負しているからこそまとまらない部分がありました。

 

 

私の特に好きなフレーズ、So far away の

 

「君の創造と人生の終わりを共にできたなら

 君の居場所がどこであろうと寛大だったなら

 試練の果てに満開なら

 始まりが微弱だとしても最後は壮大であったなら」

 

 

同じくらいwingsのゆんぎさんパートが好きなんですけど、この歌詞がわたしの人生の軸と言っても過言ではないくらいには助けられました。

 

たとえ自分がどんな場所にいてもそこで大きく羽ばたければいい。どんなに辛くても小さくても最後は満開で壮大なら。

 

日々自分が無力でちっぽけだと人生って何なのかと全てを投げ出したいときには全ては彼がいるからと体を預けれるような曲。

 

歌詞を全身に憑依させるような彼のラップと締め付けられるような声が一緒になって「生き抜け」と言ってくれるような気がして、ゆんぎさんのラップは命を削るようなラップをすると文中にも書きました。

 

 

 

 

そしてさっきも言ったようにこのブログ自体、構成として暗く書こうと思い必要以上に暗い描写を入れました。だからゆんぎさんは새벽에 を描いた2014年から永遠に苦しんでいたわけでもないと言うのをわかって欲しいです。

 

 

そしてこのブログはわたしの主観で半分ファンタジーとして書いています。わたしはゆんぎさんの人生の半分以上も知りません。なのであたしのブログで言っていたからと、どうかこのブログのゆんぎさんがゆんぎさんと思わないで頂けたら幸いです。

人には人の乳酸菌、人には人のゆんぎさん。

 

 

 

 

 

 

20200428